読書感想:夏目漱石 坑夫



平成26年12月29日から読み始め、平成27年1月3日、出勤時の車中で読了した。

【坑夫】は夏目漱石が朝日新聞に勤め、職業作家になった、虞美人草に続く2作目の作品。
1908年(明治41年)元旦から同年4月6日まで、東京と大阪の朝日新聞に連載された。

ウイキを見ると、その前年、ある青年が漱石の所を訪ね、このような経験を私はしたので、それを小説にしてくれと頼みに来たそうだ。その謝礼で信州へ生きたいと。漱石は断ったが、島崎藤村の『春』の執筆がはかどらず、急遽漱石がその穴を埋めることになった。それで若者の申し出を受け入れ『坑夫』がうまれたという。

おもしろい小説だった。

金持ちのぼんぼんで育った19歳の学問をした若者。彼曰く恋愛のもつれから、着の身着のままで突然家出をして、当ても無く松原を歩き続けた。そこで長蔵というポン引き、口入屋に誘われるままに途中同じように引っかかった、「赤毛布を巻いた赤毛布(あかげっと)」、「冷飯草履をはいた小僧」と4人一緒に銅山に向かった。

銅山の飯場に着き、飯場頭の原駒吉に預けられる。
周旋屋の長蔵は「赤毛布」と「小僧」を連れて、他の場所に行った。
ここでその3人の話は終わった。

19歳の若者を一目見て飯場頭の原駒吉は言う。

あなたは生れ落ちてからの労働者とも見えないようだがと、坑夫にはなれないから、帰れと諭す。しかし、どこ行くあても無い若者は是非とも坑夫にしてくれと我を張った。

翌日「初」さんと云う、坑夫に案内され、鉱山の中に入る。鉱山の坑道を「シキ」と云い、それが何度も出てくる。
どれくらい深さがあるか知らないが、カンテラを下げて坑道深く入っていく。
19歳にしては勇気があると思った。私なんかはとてもできる技ではない。垂直にかけられた梯子を何十段も降り、更に水たまりを這っていくような所なんかを読んでいると、すごい奴だと感心した。

そして自分一人でシキ坑道から帰るといい、案内人の「初」はとっとと先に行き、見えなくなる。

迷いに迷い出会った人は「安さん」。

これが実に良い人で、

『安さんが生きている以上は自分も死んではならない。死ぬのは弱い。』と思い、死ぬのを断念した。

シキで働く為に、銅山にある診療所で健康診断を受ける。

しかし、結果は気管支炎でシキでも働けないし、当然坑夫にもなれない。

飯場頭の原駒吉の計らいで、帳付け仕事にありつけた。

月給4円。

そこで5カ月働き、家出の原因になった、澄江、艶子のいる、東京に戻った。

ざっと物語を振りかえった。


この小説を読み思ったこと。

一人で生きて行くのは本当に大変だという事。

人は食べなければ生きていけない。

たとえ南京米でも。

人は寝なければいけない。

たとえ南京虫がうじゃうじゃいる布団でも。

そして何をするにも、金が要る。

金は働かなければ、得ることが出来ない。

今も昔も一人で生きて行くことの難しさは同じだ。

親の家で親の庇護で生活している人々はその幸せを感じ、親に感謝しているのだろうか。


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